2005年03月04日

勝者の視点

 ちょっと古い記事ですが、2月21日、Yomiuri on-line 関西の記事です。

 戦国一の美女像をみる

 「悪女」という評価を受ける事の多い、淀殿の解説です。勝者(徳川家)の視点で見れば、 淀殿は悪女であった方がいいのだから、今日の評価は、徳川家の思惑通りと言ってもよさそうです。勝てば官軍、歴史は勝者が作るものですね。

 歴史を敗者側から眺めるのも、楽しみの一つ。淀殿も、 末期症状の豊臣家を懸命に支えようとした心意気は見直されるべきなのでは、と考えます。

 ところで、この記述にはちょっとびっくりです。

 淀君、と書いた方が通りがいい。だが、「君」は現代の語感からは意外だが遊女らに使う蔑称(べっしょう)であった。 母を死に追いやった秀吉の側室となり、やがてはその豊臣家も滅亡させたと蔑(さげす)まれ、そう呼び慣らわされるようになった。

 「君」の使い方は意外でしたね…。「淀君」の呼称が一般的だと思っていたのですが、適切ではなさそうですね。

 P.S.最近忙しくなって、更新がままなりませぬ。書きたい記事はまだあるのですが…。なるべく更新していきますので、 生暖かく見守ってください。それでは。

 (Yomiuri on-line 関西

posted by Dai at 02:05| Comment(7) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「君」が蔑称であるということは聞いたことがあります。
現代とは違う使い方をする言葉って沢山ありますよね。
時代小説を読んでいると、その時代にそんな言い方はしないだろう!
と突っ込みたくなる事もしばしば(笑)
言葉って難しいですね^^
Posted by tohfucat at 2005年03月04日 14:31
これで、20件はしごした〜
Posted by 徳川 高則 at 2005年03月05日 21:09
tohfucatさん
時代によって言葉の使われ方も変わることがあるので、
難しいですよね。
ツッコミを入れたくなるその気持ち、分かります!

徳川 高則さん
コメントありがとうございます!
メルマガを発行されたんですね。
ブログの運営ともども、頑張ってください!
Posted by Dai at 2005年03月06日 03:39
豊臣派としては淀殿は微妙な存在ですね。
でも三成の死後、形はどうあれ豊臣を支えたのは
淀殿でしょう。
ところで歴史関係の本で「淀君」と書いてある本は
基本的に信用しません。
慶長年間に公式な場でそんな呼び方する人はいなかったはずですから。
Posted by リックドム at 2005年03月07日 14:11
リックドムさん
>慶長年間に公式な場でそんな呼び方する人は
>いなかったはずですから。
確かに、切腹ものの無礼ですよね。
ところで、「君」の意味、僕は今回の記事で知ったのですが、
有名な話だったみたいですね。
今まで普通に使っていましたよ…。
Posted by Dai at 2005年03月08日 09:27
Daiさん
>今まで普通に使っていましたよ…。
仕方ないですよ。
結構有名な歴史作家が平気で「淀君」と
書いてありますから。
一般人なら問題無いですがそれでお金をもらっている人が使うのは見識を疑われるか徳川に肩入れしていると思われても仕方ないでしょう。
Posted by リックドム at 2005年03月08日 18:50
リックドムさん
>結構有名な歴史作家が平気で「淀君」と
>書いてありますから。
なるほど。確かに小説を読んでいても、
普通に見かけられる表記ですよね。
アンチ淀殿(?)が個人レベルで使うならともかく、
大衆の目に触れるもので「淀君」はどうかなぁ、
と思います。
今回も勉強させていただきました。
ありがとうございます!
Posted by Dai at 2005年03月08日 22:25
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