2005年04月03日

名将の業績

 4月1日、 日刊県民福井の記事です。

 大谷吉継の顕彰会発足

 人気の殿様 敦賀に活力

 大谷吉継といえば、三成の友情に殉じて関ヶ原に散った、戦国の義将です。

 吉継は、天刑病(ハンセン氏病、らい病)を患っていました。そのため彼は普段から、顔を布で覆い、 手足に包帯を巻いて生活していました。関ヶ原の合戦の頃には、体調も優れなかったようです。

 彼は三成の挙兵に反対、三日三晩に渡り説得しました。それでも三成が折れないので、吉継は協力を約束します。 この戦に勝機が少ないと感じながら…。

 関ヶ原では、病のためにほとんど視力を失いながらも奮戦します。が、彼の率いた大谷隊は、小早川隊の裏切りにより壊滅。 吉継は自刃して果てました。

 さて、関ヶ原での奮戦のイメージから、「吉継は優秀な指揮官」というイメージを持っていました。しかしながら、 平時の彼の業績も、なかなかのものがあるようです。

 1989(天正17)年、敦賀城城主(57,000石)を秀吉から任され、 良き領主として統治しました。また小田原遠征の際には、 出羽奥州にておこなった検地でその手腕をふるいました。さらに、 朝鮮出兵において石田三成や増田長盛といった当時一流の内政官とともに、船舶、武器、 食糧の調達や輸送を行いました

 この内政面の実績を見ると、敦賀の人々も良い領主に恵まれたといえるのではないでしょうか。 こうして再評価されるというのは、喜ばしい事だと思います。顕彰会の方々、ぜひ頑張ってください!

 (日刊県民福井

posted by Dai at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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