2005年04月05日

土佐の藩主と日本酒と

 4月3日、高知新聞ニュースから。

 豊作祈ってどろんこ祭り 高知市長浜

 江戸時代、土佐藩主山内忠義が領地検分した際、田植え中の女性がはねた泥がはかまにかかったが、藩主は怒らず 「農作業に励むように」とねぎらったため、喜んだ女性らが泥を掛け合ったのが由来とされる。

 山内忠義は、土佐藩の第二代藩主です。

 忠義は初代藩主・ 山内一豊の弟、山内康豊の長男で、一豊の養子となりました。1605年の一豊が没すると、 家督を相続します。

 立派な髭を生やした、六尺余りの大男だったそうです。見た目も豪傑ならば、酒の飲み方もまた豪快だったようで、 こんなエピソードがあります。

 ある日、忠義は京都の二条城での酒宴後、酔いに任せて諸肌脱いで駕籠の上に乗り、 京の町を見物しました。これには京の人々も驚いたことでしょう。

 そういえば、三代目藩主である忠豊も無類の酒好きで、「たとえ、 酒をやめれば日本国の半分をくれると言われても、酒をやめることはできない」なんて事を言っています。また、 十五代藩主である 容堂「鯨海酔候」などという雅号を持つ大酒飲み。 酒好きは山内家の血筋かもしれませんね。

 (高知新聞ニュース

posted by Dai at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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