2005年04月10日

名将の息子

 4月7日、 MSN毎日インタラクティブの記事です。

 九度山町・真田祭 十勇士らをしのび武者行列 /和歌山

 真田父子をしのんで毎年5月5日に行われる九度山町の真田祭は、幸村や十勇士らにふんした300人が町内を練り歩き、 勇壮な時代絵巻を繰り広げる。

 記事の最後に、 真田幸村と真田十勇士についての解説が載っています。僕の出番がありません…。

 さておき、毎年2万人の人が訪れるというこの祭。非常に興味深いです。また、3日・4日には、 子供向けのイベントもあるようです。連休を利用して、九度山町に遊びに行くのも面白いかもしれません。

 ところで、町議会議長の今川年弘氏は、真田大助らにふんしたそうです。この「真田大助」なる人物を、 あなたはご存知でしょうか?

 真田大助幸昌は、真田幸村の嫡男として生まれました。その頃真田家は、関ヶ原の戦いに敗れ、九度山で蟄居していました。 ちなみに、母は大谷吉継の娘だそうです。

 1614(慶長19)年、父とともに大坂城に入城しました。大坂冬の陣では、真田丸(大阪城の南側にある出城) で父とともに前田勢、松平勢を破るという活躍を見せます。

 また、夏の陣の「誉田の戦い」でも、片倉隊のと戦闘で戦果を挙げました。このときは、 股に傷を負いながらもそれを意に介せず、戦い続けたそうです。

 奮闘むなしく、最後は秀頼に殉じ、14歳の若さで果てました。 「秀頼とともに島津領に逃げ込んだ」という説があるのも、人気を裏付けているのだと思います。

 (MSN毎日インタラクティブ)

posted by Dai at 00:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真田家は代々、勇将そろいですね。
幸隆に始まり昌幸・幸村そして大助。
信之が生き残り見事にお家存続。

もっと別の地に真田家があったら、もしかして天下も狙えましたかね〜?
Posted by 織田 創 at 2005年04月10日 17:06
>織田さん

>もっと別の地に真田家があったら、もしかして天下も狙えましたか
>ね〜?

これだけ優秀な人材が揃っていれば、あながち不可能ではないかも…。大抵の場合、一族が揃って優秀ということはないですから、真田家のすごさが分かります。

もっとも真田家の場合は、小勢力だからこそ輝いたのかもしれませんね。乱世で生き残るために、日々努力してきた結果が、真田家の人材なのかもしれません。
Posted by Dai at 2005年04月10日 17:29
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