2005年04月12日

夏の夜に飛ぶ山不如

 4月11日、asahi.comから。

 桜色添え 武者ズラリ

 越前時代行列 勝家役・藤岡さん号令

 10日の越前時代行列の記事です。“武者隊や音楽隊、総勢約1200人”ということなので、 さぞ見ごたえのあるパレードだろうと思います。

  柴田勝家役の藤岡弘さんはイメージどおりの配役だと思うのですが、いかがでしょうか?

 ところで、勝家は信長の家臣だったというのは有名です。信長死後の後継者争いでは、秀吉と競ったことからも、 有力な家臣であったことがうかがえます。しかし、昔は信長と敵対していた、ということは、ご存知でしょうか?

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2005年04月10日

名将の息子

 4月7日、 MSN毎日インタラクティブの記事です。

 九度山町・真田祭 十勇士らをしのび武者行列 /和歌山

 真田父子をしのんで毎年5月5日に行われる九度山町の真田祭は、幸村や十勇士らにふんした300人が町内を練り歩き、 勇壮な時代絵巻を繰り広げる。

 記事の最後に、 真田幸村と真田十勇士についての解説が載っています。僕の出番がありません…。

 さておき、毎年2万人の人が訪れるというこの祭。非常に興味深いです。また、3日・4日には、 子供向けのイベントもあるようです。連休を利用して、九度山町に遊びに行くのも面白いかもしれません。

 ところで、町議会議長の今川年弘氏は、真田大助らにふんしたそうです。この「真田大助」なる人物を、 あなたはご存知でしょうか?

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2005年04月05日

土佐の藩主と日本酒と

 4月3日、高知新聞ニュースから。

 豊作祈ってどろんこ祭り 高知市長浜

 江戸時代、土佐藩主山内忠義が領地検分した際、田植え中の女性がはねた泥がはかまにかかったが、藩主は怒らず 「農作業に励むように」とねぎらったため、喜んだ女性らが泥を掛け合ったのが由来とされる。

 山内忠義は、土佐藩の第二代藩主です。

 忠義は初代藩主・ 山内一豊の弟、山内康豊の長男で、一豊の養子となりました。1605年の一豊が没すると、 家督を相続します。

 立派な髭を生やした、六尺余りの大男だったそうです。見た目も豪傑ならば、酒の飲み方もまた豪快だったようで、 こんなエピソードがあります。

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2005年04月03日

名将の業績

 4月1日、 日刊県民福井の記事です。

 大谷吉継の顕彰会発足

 人気の殿様 敦賀に活力

 大谷吉継といえば、三成の友情に殉じて関ヶ原に散った、戦国の義将です。

 吉継は、天刑病(ハンセン氏病、らい病)を患っていました。そのため彼は普段から、顔を布で覆い、 手足に包帯を巻いて生活していました。関ヶ原の合戦の頃には、体調も優れなかったようです。

 彼は三成の挙兵に反対、三日三晩に渡り説得しました。それでも三成が折れないので、吉継は協力を約束します。 この戦に勝機が少ないと感じながら…。

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2005年03月29日

鉄砲演武

 3月28日、 MSN毎日インタラクティブからです。

 紀州鉄砲まつり:

 戦国さながらの演武を披露−−岩出町 /和歌山

 紀州といえば鉄砲、鉄砲といえば雑賀孫市な僕にとって、ぜひとも見に行きたかったイベントです。

 鉄砲の演武というと、小説「尻喰らえ孫市」 にて、雑賀衆が信長の前でみせたものが真っ先に思い浮かびます。さすがに、 あそこまで曲芸じみたことはやらないでしょうが、 かなりの迫力だったのは間違いないでしょう。

 それと、参加団体に根来と雑賀の名前が並んでいるのが、ちょっと面白く感じました。

 (MSN毎日インタラクティブ

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2005年03月27日

髭男決定!

 eまち.comよねざわで募集していた、 「髭面募集!」 の当選者が発表されました。

 3人ともご立派な髭の持ち主ですが、直江賞を受賞されたバロンさんが、一番イメージどおりかと個人的には思います。

 実は僕も髭男なのですが、ここに投稿している猛者たちにはかないそうもなかったので、応募しなかったのです…。 来年に備えて、今から手入れをしておこうと思う今日この頃。

 それにしても、こんな形で戦国時代にアプローチするというアイデア、流石です!

 (eまち.comよねざわ

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2005年03月22日

文化財と不況

 3月17日、河北新報の記事です。 古くなってしまった…。

 政宗自筆の和歌、不動明王画像…仙岳院宝物、散逸の危機 仙台

 仙台市登録文化財36点が、差し押さえを受けた模様。その土地に縁のある文化財は、「そこにあるから価値がある」 と思います。とはいえ、差し押さえ自体が法に反するわけでもなく、「心配だが、見守るしかない」 (本文より)というのが実情です。

 本文の締めくくりには、こう書かれています。

 仏具業者は「文化財の差し押さえは避けたかったが、仕方なく行った。 仙岳院を管理する天台宗総本山が債権者救済に乗り出しておらず、宝物差し押さえは今後も問題解決の選択肢の一つだ」 と話している。

 宗教法人といえども、不況の煽りは免れないようです。世知辛い世の中ですね。

 (河北新報社

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2005年03月17日

童心に帰って

 3月16日、 MSN毎日インタラクティブの記事から。

 津山城跡:400年記念事業の忍者イベント開催 参加者を募集−−来月29日 / 岡山

 津山市の津山城跡で4月29日、津山城築城400年記念事業として小学生対象に開くイベント「忍者参上! 〜まちをかけぬけ、遊びたおせ!」の参加者を募集している。

 忍者ごっこですか。子供がメインですが、大人のスタッフも募集しているそうです。童心に帰って楽しめそうですね。 「五感を使ってイメージをふくらませ、…」って、どんなことをするんでしょう?

 (MSN毎日インタラクティブ

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2005年03月16日

外交手腕

 3月14日、 MSN毎日インタラクティブの記事からです。

 日ソ共同宣言:最終交渉メモ 沖縄返還絡め生々しい会話も

 日本とソ連が国交を回復した日ソ共同宣言(1956年10月19日署名) に向けた最終交渉のやり取りを克明に記したメモが14日、明らかになった。 当時の河野一郎農相とフルシチョフ共産党第1書記の会談が中心。北方四島についてフルシチョフ氏が「歯舞、色丹はたいして価値がない。 国後、択捉も同様だ」と述べ河野氏が「日本としても、国後、択捉はそう必要だと思っていない。 米国から沖縄などを吐き出させるためにも国後、択捉を返していただいて(沖縄返還)運動を有利にしたい」 と答える生々しい場面も含まれている。

 沖縄返還と北方領土問題、この2件の問題が、実は密接な関わりをもっていることを裏付ける資料です。

 「ソ連側としてし持っているだけで損がいく。問題は威信、戦略にある」とは、 記事中のフルシチョフ共産党第1書記の言ですが、日本とソ連の領土交渉の背景に、実は米ソ対立の冷戦があったんですね。

 地方都市日記さんでも取り上げられていました。 それによると、

 フルシチョフ氏に「日本人はなんて頑固なんだ」と言わしめたほど、 河野氏はかなり粘っていたようです。

 現在の日本における外交を、河野さんなら、どう見るでしょうか?今の政治家の方々にも、見習っていただきたいものです。

 (MSN毎日インタラクティブ

 (地方都市日記

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2005年03月06日

お次は詐欺ですか…

 3月6日、 NIKKEI NETから、呆れた事件です。

 延暦寺改修話でっち上げ、150万円詐取の男逮捕

 「比叡山延暦寺(大津市)の改修塗装工事をやらせる」との架空話を持ちかけ、口利き料として川崎市の塗装業の男性 (51)から現金150万円をだまし取ったとして、警視庁本富士署は5日、詐欺の疑いで千葉県市川市高谷、無職、西嶋公雄容疑者(75) を逮捕した。

 2月10日の記事で取り上げたような、 神社に放火する事件があるかと思えば、 お次はお寺を利用した詐欺ですか…。なんだか、罰当たりな人が多い今日この頃です。

 (NIKKEI NET

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2005年03月04日

勝者の視点

 ちょっと古い記事ですが、2月21日、Yomiuri on-line 関西の記事です。

 戦国一の美女像をみる

 「悪女」という評価を受ける事の多い、淀殿の解説です。勝者(徳川家)の視点で見れば、 淀殿は悪女であった方がいいのだから、今日の評価は、徳川家の思惑通りと言ってもよさそうです。勝てば官軍、歴史は勝者が作るものですね。

 歴史を敗者側から眺めるのも、楽しみの一つ。淀殿も、 末期症状の豊臣家を懸命に支えようとした心意気は見直されるべきなのでは、と考えます。

 ところで、この記述にはちょっとびっくりです。

 淀君、と書いた方が通りがいい。だが、「君」は現代の語感からは意外だが遊女らに使う蔑称(べっしょう)であった。 母を死に追いやった秀吉の側室となり、やがてはその豊臣家も滅亡させたと蔑(さげす)まれ、そう呼び慣らわされるようになった。

 「君」の使い方は意外でしたね…。「淀君」の呼称が一般的だと思っていたのですが、適切ではなさそうですね。

 P.S.最近忙しくなって、更新がままなりませぬ。書きたい記事はまだあるのですが…。なるべく更新していきますので、 生暖かく見守ってください。それでは。

 (Yomiuri on-line 関西

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2005年02月28日

おめでとうございます!

 南セントレア問題に、ついに決着が着いたようです。新市名どころか、合併話までなくなってしまいました。

 合併自体には、とりたてて反対というわけではありませんでした。合併するからには、様々な事情があるでしょうから。ただ、 今回の新市名を決めるにあたり、住民の民意を無視したやり方に、憤りを感じました。合併そのものが流れるという展開は、 仕方のないことかと思います。

 これからの両町の発展を祈るとともに、故郷は美浜さんに、「お疲れ様でした!」の一言をお伝えしたいと思います。

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2005年02月27日

不幸中の幸い

 2月26日付けの さきがけonTheWebの記事です。

 不幸中の幸いだった。先月、県指定有形文化財の本殿を全焼した千秋公園の八幡秋田神社で、神体の掛け軸と甲冑 (かっちゅう)2領が焼失を免れていたことが分かり、関係者は胸をなでおろしている

 2月10日の記事に取り上げた、八幡秋田神社での、放火事件の話題です。全て焼けてしまったかと思っていたのですが、 まさに不幸中の幸いです。

 何かを作り上げるというのは、壊す事よりもずっと難しい場合が多いと思います。ましてや、失われた歴史(時間)は、 取り戻す事は出来ません。今回の事件は、天災などの不可抗力ではなく、人災です。こんな事件は、もう二度と繰り返されないよう、 願ってやみません。

 (さきがけonTheWeb

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2005年02月23日

たまには、サイクリングでも

 2月23日、共同通信の記事です。

 「坂の上の雲」舞台巡って 松山、放置自転車貸し出し

 放置自転車の再活用もできるし、観光のPRにもなる、いいアイデアですね!

 司馬遼太郎先生のファンならば、一度はいってみたいこの企画。小説の雰囲気が肌で感じる事ができそうですね。 松山市に行く予定があって、まだ「坂の上の雲」を読まれていない方は、是非一読してから行ってみてほしいです。楽しさも倍増しますよ。

 (共同通信

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2005年02月20日

英雄と名刀と

 2月20日の 中日新聞からです。

 平安〜江戸末期の名刀を一堂に

  平安から江戸時代末期までを中心にした名刀を一堂に集めた展示「いま甦(よみがえ)る武人(もののふ) の心 日本の刀 赤羽(あかばね)刀から観る刀剣の歴史と美」が19日、四日市市安島の市立博物館で始まった。3月21日まで。

 面白そうな催し物です。近場であったら、絶対に行ってますね。記事によると、かの有名な「正宗」や「村正」 もあるそうです。

 「正宗」といえば、伊達政宗と「正宗」にまつわる、こんなエピソードがあるのをご存知でしょうか?

 ある時、江戸城内で某大名が「伊達殿は正宗をお持ちでしょうか?」と尋ねました。その当時、政宗は62万石の大大名。 各下の相手に見栄を張り、つい、持っていると答えてしまいました。

 その後、政宗は大急ぎで蔵の中を調べさせたものの、正宗はどこにもありません。そこで政宗は、 正宗によく似た刀を正宗と言い張る事にしました。しかも、「正宗」 と銘を刻ませる程の念の入れようです。

 後日、件の某大名とばったり会った政宗は、「これが、私の正宗です」とその刀を見せました。某大名はわざとらしい 「正宗」の銘を見て、不審に思いました。が、大大名である政宗の刀の真贋をただすことなどできません。ましてやこの時代、 大名の所蔵する刀の真贋をただすということは、斬られても仕方ない程の無礼とされていました。

 そんな訳で、某大名はついに偽正宗だと指摘する事ができませんでした。英雄政宗の意外なエピソードでした。

 (中日新聞

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2005年02月18日

信長街道

 2月18日付けの 中日新聞の記事から。

 歴史ロマン感じて歩いて

 蟹江「信長街道」に案内板

 織田信長19歳ぐらいのころの、清洲攻めの際に行軍した道だと伝えられているそうです。 蟹江町のホームページによると、

 昔ながらの道ですので、車で通るには狭い道ですが、道沿いには寺社や酒蔵があり、 歩くと歴史のロマンを感じることができます。

 このような古い町並みは、可能な限りそのままでいてほしいです。そこに住んでいる方々の生活もあるので、 一概には言えることではないのですが、やはりこうしてその当時を偲ばせる風景があるというのは、いいものではないかと思います。

 一度、じっくり歩いてみたいですね。

 (中日新聞

 (蟹江町

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2005年02月17日

あんぱんを食べながら

  こんな記事を見つけました。

 あら!これが明治の…木村家ペストリー・ショップ
築地のあんパンオールスターズ

 僕は甘いものに目がなく、あんパンも大好きです。で、読み進めていくと、山岡鉄舟の名前が!意表を突かれました…。

 木村屋總本店さんの 「あんぱん読本」を見てみると、

 明治8年、明治天皇の侍従をしていた山岡鉄舟が店を訪ねました。鉄舟と安兵衛は明治維新前からの知り合いです。

 …!!山岡鉄舟と知り合い!?安兵衛さん、すごいなぁ…。しかし考えても見れば、僕らの目からみた山岡鉄舟は、 本や史料に登場する偉人だけれど、この時代に生きた人にとっては、血肉の通った人間なんだなぁ、と感じました。

 山岡鉄舟はご存知ない方も多いかも知れませんね。高名な剣術家であると同時に、論客としても優秀で、 江戸無血開城の立役者の1人。勝海舟と並び評された人物です(ちなみに、勝海舟、山岡鉄舟、鉄舟の兄である高橋泥舟をまとめて”幕末の三舟” と呼んだりします)。明治時代には、明治天皇の側近として、信頼を得ていました。

 今日はあんパンでも食べながら、維新の英傑に想いを馳せてみようかと思います。

 (All About

 (木村屋總本店

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2005年02月16日

佐々成政と肥後国衆

 2月16日付け、MSN毎日インタラクティブの記事です。

 華やか勇壮、戦国絵巻−−三加和町「戦国肥後国衆まつり」 /熊本

  三加和町の「戦国肥後国衆まつり」が13日、同町民広場であり、華やかな戦国合戦絵巻を繰り広げた。

  三加和町のサイトに、詳しい情報が載っています。

 1587(天正15)年、肥後国主である佐々成政は、検地を行いました。それに抵抗する肥後国衆が、一揆を起こしました。 しかし一揆勢は次第に追い詰められ、最後の砦となったのが、三加和町にある和仁氏の居城、「田中城」なのだそうです。

 ちなみに成政は、「3年間は検地を禁ずる」という秀吉の命令を破り、一揆を誘発したという罪で、所領没収の上、 摂津尼崎で切腹を申し渡されました。1588年、成政49歳でした。

 辞世は「 このごろの 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋を 今破るなり」

 (MSN毎日インタラクティブ

 ( 三加和町

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2005年02月15日

福島政則?

 2月14日、Sankei Webの記事です。

 明治大入試で出題ミス 全員を正答扱いに

  明治大は14日、情報コミュニケーション学部の入試で2問の出題ミスがあったと発表した。 この問題について全員を正答扱いにするという。

 ○福島正則→×福島政則ですか。パッと見た限りでは、ありそうな名前だと思いますが…。 googleで「福島政則」 を検索すると、734件もヒットします。意外と多いんですね。

 ちなみに、ちょっと古いですが、2月11日の 中日新聞

 福島正則も蒲郡で採石

 地元市職員が刻印入りの岩発見

  戦国大名福島正則(1561−1624年)の刻印が入った岩が、蒲郡市西浦町の海岸で見つかった。 1610年の名古屋城築城で、徳川家康の命を受けた大名の一人として、福島正則が石垣にする石を採った名残とみられる。

 こちらは正解。ちなみに正則は、武人としての才能はもちろん、治水事業における才能もあったようです。

 また、奥さんに薙刀振り回されて逃げてみたり、家臣の奥さんに怒られたり、酒の席で大事な槍「日本号」 を手放してしまったり(黒田節ですね)…いろいろ憎めないエピソードの多い武将です。ただの聖人君子より、人間味があっていいですね。

 (Sankei Web

 (中日新聞

 

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2005年02月12日

夢のある話

 はてなにて。 たくさんのサイトで取り上げられているので、 ご存知の方もいるかもしれません。

 征夷大将軍になれば幕府を開けると習いました。可能であれば幕府を開いてみたいと思うのですが、 とりあえず何から始めればよいのでしょうか。

 しっかり調べれば、不可能ではないのかも…。

(参考  はてな

posted by Dai at 23:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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