2005年02月06日

松本城の城主、石川数正(2)

何故、彼が家康の下を去ったかを考える前に、石川数正とはどんな人だったのかを、簡単に紹介します。

彼は家康が人質として辛酸を舐めた時代から出奔するまで、家康の有能な家臣として仕えていました。武勇だけでなく、 三河武士が苦手な分野である外交術にも長けた武将でした。

織田家に近づき清洲会盟を成立させたり、家康の嫡男である信康を今川方から奪還したのも、彼の功績だといいます。この功績から、 数正は西三河筆頭という地位を得ました。西三河の拠点は信康がいた岡崎城です。しかし、この信康奪還が、数正の人生に微妙な影を落とします。

信康は、織田信長の意を受けた家康の命で、自刃させられてしまうのです(この事件にも諸説ありますが、ここでは触れません)。 命がけで今川方から取り戻した信康が、殺されてしまう…。数正は、さぞ無念であったでしょう。

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posted by Dai at 00:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

松本城の城主、石川数正

タイトルどおり、学校では教わらないような、マニアックな歴史の話を書いていこうと思います。どうぞごひいきに…。

信濃毎日新聞の2/2の記事に、こんな話題が紹介されていました。

松本城「大修理」50周年記念 10月 宮内庁の雅楽公演

 松本市などは、国宝松本城が「昭和の大修理」から今年で50周年となるのを記念し、10月1日にまつもと市民芸術館で宮内庁式部職楽部による雅楽の公演を開く。式部職楽部は22人の楽師全員が国の重要無形文化財保持者。首席楽長の岩波滋さんが松本市庄内の出身でもあることから、市が文化庁に公演を打診していた。

松本城?と思ったので、ちょっと調べてみたところ、意外な人物がでてきました。

あまり馴染みのない名前かと思うのですが…、
posted by Dai at 02:27| Comment(6) | TrackBack(9) | 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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